丸兆 / MARUCHO
^^ 写真をクリックして全体構図をチェック ^^
| 商品名 | 丸兆 / MARUCHO | |
|---|---|---|
| 製造元 | 久保田製紙株式会社 | 静岡県富士市 |
| 規 格 | 114mm x 65m | シングル |
| 備 考 | 1999年 東京都 | |
| 在 庫 | × (out of stock) | |
| モチーフ | 黒メイン 富士山 再生紙 recycle gray | |
| 素材 | 紙 | |
| 販売種別 | 普及品 | |
その日、私は中野にある東大の研究所で試料の処理に当たっていた。
ところで、基礎科学における前処理というのは恐ろしく地味な作業である。
ちょっと手先が器用な中学生なら十分に出来るであろう単調な作業を
学士や修士、場合によってはポスドク(30歳近くって事だよ!)にもなって
朝から晩まで延々と続けなければならない、なんていうことはザラだ。
それでいて少しでも手順を間違えると丸ごとパァになるというオマケ付き。
しかも、こう言うのに限ってどこでダメになったか最後まで判らないものが多い。
さて。
この時の試料は数億円規模のプロジェクトで得られた貴重なものであった。
(もちろん今回の事業仕分け対象だ!)ちなみに分量もあった。
そのため各研究所には「動きの良い下っ端を出せ」と辞令が出て自分も駆り出された。
そんなわけで額をつきあわせて手を動かす彼らは この場を共有する仲間でありながら
ライバル機関の人間でもあるのでそれなりの緊張を強いられる。
この不毛な単純作業によって互いの将来の幾ばくかを負うことになると思えば。
(ま、結構ダラダラやってたけどよ。)
だから、半ば密室と化した部屋の片隅でささやかにテレビがついていなければ
我々がその事件を知る事になるのはずっと後になってからのはずだった。
「トウカイムラデ リンカイジコガ ハッセイシマシタ」
まず誰かが反応し、追って皆の視線が一斉に揃った。
我々はその道の専門ではなかったが、報道の要旨はその一言さえあれば足りた。
詳細な反応を説明できなくても、原理の概要は理系としての共通認識であろう。
みな事の次第は推してはいるものの、その次のセリフをなかなか出せずにいる。
そのとき無意識に我々が欲していた『場所と規模の詳細』が未知だったからである。
ニュース性は起爆剤、各種の条件はその動力機関を動かすための係数であるから、
それらが明らかにならないうちはリアクションの程度が一意に定まらないのだ。
『驚くべき事柄』に対して無条件に、反射的に、リアクションを返せない人種。
特定の回路を動かすのに必要な材料を放り込まないと適切な反応を返せない社会種族
それが理系…。面倒臭いと言われようと基本特性なのだから仕方があるまい。
やがて続報により東海村の地理は明らかになった。…が、その前に事態は察せられた。
異質な気配を感じて振り返ったとき、筑波大チームの血の気が引いていたからだった。
しかも、その中の一人が東海村の住人なのだという。
我々は本来するべき仕事を中断した。実験室の隅の小さなテレビにかじりつき、
ブラウン管の向こうに溢れかえる感情論を排除しながら必要な情報を拾い上げる。
やがて彼の家族はどうやら安全らしい(確率が高い)というひとまずの結論を得た。
ほどなく作業は再開されたが、時々飛び込んでくる続報は合理性を疑うものばかりで
日本の教育制度のあり方だとか、組織の社会性だとかをいろいろと考えさせられた。
当時、日本は科学技術立国を目指すとか何だとか騒がれていたが
高度な技術を駆使する組織でさえこんなものなのだ。
しかしそれも氷山の一角に過ぎない。
見えないものに対する恐怖から前に進む道具が教育であるとするならば
むしろ事態に巻き込まれる市民や報道する側にとってさえ、科学はこんなにも遠い。
数式や試験管を振るだけが科学ではない事を理解するものはどれだけいるのだろう。
科学は科学を生業とするものだけに必要とされるのではない。
ヒトが経験するすべての文化的段階において生きる権利をもぎ取るための武器である。
よく「小さな社会で生きているからそのような飛び道具は必要ない」という人がいる。
だがむしろ科学は肉弾戦にこそ必要な柔軟で使い勝手の良い武器であり防具なのだ。
社会が後天的に獲得した言語能力や契約こそ飛び道具と言える。
確かに飛び道具は強力だが、一度手にするとそれを使う以外の選択肢が見えなくなる。
それでいて訓練されたものにしか使いこなせないし、使える間合いも実は狭い。
鍛えられたものほどシンプルな道具を好むのは、決してストイックだからではなく
それが自分にとって最も取り回しの利く状況を支えているからに他ならない。
この、リアルな富士の稜線を眺めるたびに、
あの日に感じたこの国の病巣と自分なりの決意を新たにするのだが
このたびの事業仕分けとやらによれば、我が国に科学力は無用の長物なのだそうだ。
ハァ?基礎体力抜きにして、どうやって国を運営すんの?
諜報で乗り切る?アメリカやEUだって些細な事で出し抜かれるのに?
日本人にスイスやバチカンと同じことなんか出来ないに決まってんだから
教育には力を入れなきゃダメなんだよ!(小学校英語は…正直微妙…)
あとは文化振興でしょ!地味に出来る事いろいろあるでしょ。
放課後の校庭開放するだけでも結構違うぜ。簡単な事からやっとこうよ。
小さい政府とか言うなら税制見直せばいいじゃん!
寄付金も所得控除とか損金がどうのとかケチケチ言ってないで税額控除にしちゃえよ。
言っとくけど政治献金がどうとか言う話じゃないからね!
事業種別の税率設定次第で補助金相当減るでしょ。そしたらみんな頑張るでしょ!
給付金だって所得制限とかっつって1か0かにすっからやる気なくなんの!
フツーは1/0の給付金があれば欲しいの!所得税はあんなに厳密に取ってるくせにさ。
ID制が必要ならちゃんと説明して議論しようよ。
毎年この時期に税金の計算とかやってるとマジやる気あんのかって思うんだよね!
みんな、もっと考えよう!そして声を出そう!
もー!こんなに面白デザインなのに超まともなこと書いちゃったじゃん!
■■■ 2010-01-18 追記 ■■■
トイレットペーパーの話じゃないし、まきコレ的にはどーでもいいんですけど
「理系」という言葉について、世の中に結構誤解があるので持論ぶちまけ。
正直なことを言えば、人を「文系」「理系」で括るのはクソくらえだと思っている。
あえて分けるとするなら「論理的な人間」と「非論理的な人間」がいるだけだ。
ただ、一見「非論理的」な人物が「非言語体系において論理的」であることがままある。
そしてこの「言語に依存しない論理性」は、しばしば理知的であることを凌駕する。
つまり、一般的論理性の不備は社会的に劣っていることと同義ではない。
やはり人を一本のパラメータで俯瞰することは不可能であるのか?
…否、その近傍により適した表現は存在している。
要は「自己の論理に整合性があるか否か」を問うているのだ。自己矛盾の多寡と言っても良い。
人が自分と自分の仕事に求道的である限り、その出自にかかわらず賞賛されるべきだと思う。
その限りにおいて、自虐的に語る文理分類のほぼすべては容易に一蹴されるだろう。
なんか、この民主党内閣の側近が「理系だから数字に細かい。」って言ってるのを見て
猛烈に腹が立ったので書いておきます。それ理系とか関係ねーし!
分類って便利だし、話を切り分けないと議論が進まないからやるんだけど、
人のあらゆる心情のひだを切り捨てる暴挙だということを理解してやって欲しい。
ほんと、非論理的で迷惑です。
Guestbook [ 1st line : your name ] [ 2nd line : your message ] [ button : send it ]





